こんにちは、中瀬です。最近のわたしの思考の癖をご紹介。
キッカケはスピリチュアル
中瀬さんは割と宗教とかイケる質でして。神様とか幽霊とかそういうのを信じてるタイプ。だってそのほうが面白そうだから。(?????)
スピリチュアル界隈で有名?な方がいらっしゃいまして、桜井識子さんのブログや本をよく読むようになりました。
この方のお話の中で、面白いなと思ったものがありまして。
「京都の三十三間堂の観音さまから、腕を借りることができる」というもの。
物理的に腕三本になりましたクリーチャー!というわけではなくて、霊的な世界の話です。
たとえば、「楽器が上手に弾けるようになりたいから、そういう腕を貸してほしい」といったお願いをするんだとか。すると、霊的にくっついた三本目の腕で、上手に楽器が弾けるようになるという…
ああ、なんかこのあたりで読者さんがドン引きしていくのを感じました…まってまって、ブラウザ閉じないで…!
この話には続きがあって、この借りた三本目の腕は返さないといけないそうです。まあ、貸してって言ってるしそりゃそうか。
で、その返すのは、死後でもいいそうなのです。
ここ、ここです、今日のポイント!
中瀬さんは目からうろこでした。死んでからの予定を生きているうちに立てるだなんて!そんな発想はなかった!
ここで、わたしは新たな選択肢を得たのです。まさかの死後まで人生計画に含める、と。
そして、我が最愛の推しの死
そして話は飛びますが、わたしの推しが亡くなった、というお話をしたような、していないような。自死でした。
なんかその時に、まず驚き、からの疑い、からの悲しみ、で一周回って怒りがわいてきたんですね。
なんでわざわざ自分で死ぬの。まだまだいろんな顔を見せてほしかった。というか、周りの人間何してたん。いや、分からんこともあるか。ええい、だから、なんで自分で死ぬねん!
あまりにも頭にきたので、そのときふと思いついたのです。
そうだ、わたし自身が死んだ後、あの世で推しの顔を拝みに行ってやろうと。
あの世のシステム?いやそんなもんは知らん。天国と地獄の仕組みは『鬼灯の冷徹』で勉強したから大体OKだと思ってる。
スピリチュアル界隈では、自死すると地獄行きというのが相場なので、仮に推しが地獄にいるとしても、わたしは追いかけて顔を拝んで中指立ててやる予定です。あのとき勝手に死にやがって、わたしの推し活がはかどらなかっかっただろうが!と。
え、中瀬さんは地獄に行くのかって?
まさかそんなわけない、わたしは意地でも天国に行きますよ、何も悪いことしないもんね。
まあ、きっと天国ってところもなかなかミーハーな人間はいて、「地獄見学一日弾丸ツアー」なんてありそうだな、と思ったのです。あったら絶対参加しよってな。
未完なんて知るか!
死後の計画を立てることにすっかり慣れた中瀬さんは、最近また死後の計画を立てました。
というのも、今年の目標の一つに、「太宰治全集読破」というのがありまして、勝手にコツコツと呼んでいるのですが、そのなかの一作にとても面白いものがありまして!
『火の鳥』という長編です。
一人の女優の人生なのですが、それが太宰節が効いた最高の文章だったのです。ああ、本当に。さほど有名ではない…かもですが、おススメです。
で、これ実は未完なのです。
わたし、もう、最終ページの(未完)を見たときに、椅子から崩れ落ちるかと思いました。まあそれも、めちゃくちゃいいところで終わってるのです。これからまたひと騒動ありそうな、そんななかの、未完。
これは許せないでしょう。
中瀬さん、死んだ後はあの世で太宰治を探し当てて、『火の鳥』の続きを書けとお願いすることにしました。おいこら、最後どうなるんだよ、ガクガクガクといった感じで迫りたい。
あと、こっそり耳打ちもしたい。あなたがノートの端っこに書いた芥川龍之介という落書き、全国的に晒されてますよ、と。さくらんぼをお土産に慰めたいです。
とはいえ死後の世界はどうでもいい
とまあ、ふたつの死後の予定をお披露目しましたが、とはいえ別にだからといって、絶対死後の世界は存在するんです!なんて思ってるわけでもないのです。
その辺は割とどうでもいいと思っています。あるならあるで、おもしろいな、と。
そう、おもしろい、なのです。
中瀬さんはおもしろおかしく生きたい、そういう人間なので、おもしろいほうにいつでもベットします。
だから、死後の世界もあったほうがおもしろいからあるとして、死後の予定を立てるのです。もっとおもしろいから。
それに、なんだか、モヤモヤしませんか。
推しの死とか、未完の小説とか。もうどうにもこうにもならない事実。
受け入れるしかないけれど、どうやって消化すればいいのかわからない。時間薬というけれど、それはいつになったら治まるの?
こういうときに、じゃあ、死んだ後に…と決めちゃうと、今時点では何も変わっていないけれど、その先の遠い未来にひとまず杭を打ったような感覚がして、荒れ狂った気持ちが落ち着きませんか。
感覚的に、関西人が使用する「知らんけど」に近いような。(知らんけど。)
わたし的にナイスアイディアな上手な生き方戦法だと思うのです。
みなさんもレッツ死後の世界妄想!☆彡
うつ病だなんてなっちゃって、まあそこそこ思い悩むこともありましたが、そういうものも、死後の世界に放り投げてしまって死んだ後に思う存分どうにかする、という吹っ切れ方もありだと思う。とてもおもしろい。
この考え方のポイントは、吹っ切ったからこそ、今を着実に腐らず生きるというところです。
意外と過去の出来事に後ろ髪を引かれて、今に生きていない人っているものです。そうじゃなくて、今ここに、地に足つけましょう、と言いたい。
しかし死んだ後がどうなるか、本当に実際のところどうなんでしょうね。『鬼灯の冷徹』は役に立つんでしょうか…?
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書いた人 中瀬一菜(なかせ・ひいな)
うつ病が原因で退職した元公務員。未婚・アラサー・障害者。
うつ病があっても自立した生活を送るために日々奮闘中。
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