小心者でも言いたいことがある。~公務員として働いていましたが、うつ病になりました。~

地方公務員として働くアラサー腐女子。典型的パターンでうつ病を発症してしまう。悩み藻掻きつつも幸せを掴みたい。日々の奮闘をまとめます。

保育所~中学校までいじめられた話する?

こんにちは。中瀬一菜です。

今日はお題スロットの中のひとつ「わたしの黒歴史」についてお話したいと思います。

※いじめについての話題になりますので、フラッシュバックの可能性があります。ご注意くださいませ。

お題「わたしの黒歴史」

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1 保育所でのいじめ

わたしの住まう地域はTHE☆田舎・一面のクソみどりですので、人間の長期的な意味での行き来が少なく、歴史の教科書に載っているような古臭い慣習やらご近所づきあいやらが、いまだに残っているようなところです。

ですので、都会的な柔軟な発想は大人にはなく、ともなれば子供にももちろんありません。みんながみんな、そろいもそろって、田舎人でした。わたしだって例に違わず田舎人でした。「でした」といえるのは、進学するにつれて行動範囲などが広がり、客観的に自分の育った環境を見つめることができたからです。

 

公立保育所に入ったころの記憶は、まばらですが覚えています。

わたしはすでに、いじめられていました。

すでに女の子は派閥を作り、リーダーらしき人物が出来上がっていました。組織だったいじめの仕組みはまだなかったものの、「仲間外れ」程度はありました。

今思えば、いかにもクソ田舎らしい古臭い匂いのするいじめです。こんな頃から自分とは異なることを不愉快と気づいて、排除する術を考えては実行しているのですから、末恐ろしいですよね。末恐ろしい…ほんとうにそうでした。同じ連中が核になったいじめが小学校・中学校と続くのですから。

 

だいたい、その「仲間外れ」にされていたのが私でした。

その頃のわたしは、とにかく我が強く、痛い目に遭って性格を矯正する前ですから、非常に面倒くさかったでしょう。それなりに「仲間外れ」にされる理由はあったのでしょうけど。(「仲間外れ」にする側としては、です)

けれど、そんな目に合いつつも、わたしはまだ心折れていませんでした。完全な孤立までは至っていなかったからです。

あと、幼過ぎて、「仲間外れ」がなんたるかとか、どういう意味があってとか、そういう気持ち的な部分をくみ取れていなかったのです。元々、友達付き合いは器用な方ではありませんでしたし、他人の感情の機微にとにかく疎かった。

ともあれ、この頃のわたしは、「仲間外れされるとツライ」くらいは思っていました。あと、「仲間外れを主導する連中はあいつ等だ」とも分かっていました。

 

 

2 小学校でのいじめ

わたしは地元の公立小学校へ進学しました。おなじ保育所に通っていた子供はほぼみんなこの小学校に入学。いじめの構図はそのまま更新されました。

結果、女の子の派閥もそのまま更新。学校での時間が長くなった上、先生の介入頻度が落ちたため、その繋がりはより強固になったような気がします。

1年~4年のころはまだ可愛かったです。嫌がらせも保育所のころの延長線上な程度で、甘っちょろいものでした。せいぜい、筆箱に落書きをされたり程度です。可愛いものです。それに、まだ抵抗するだけの元気はありましたし、まだ痛い目に遭って性格を矯正するには至っていなかった。

※矯正といえば聞こえは悪いですが、それだけわたしの性格は良くはなかったので、頭を打ちながら人間らしい思いやり等を自力で身に着ける、という意味です。

 

5~6年になると、さすがに目に余るようになりました。

まず学力差という優劣がはっきりし始めます。卒業が近づくにつれ、自分の将来を子供なりにうっすらと考え始める。それに、子供とは言えど、数年の学校生活でちょっとは大人になっていて、知恵を付けているんですよね。

結果、派閥の繋がりは絶対になりました。たとえるなら鳥かごでしょうか。

派閥が異なると、まともに遊ぶこともできなくなりました。もし、遊んだことが派閥のリーダーにバレてしまうと、罰がありました。

わたしは、多数派の派閥には属していませんでした。弱小派閥です。その中ですら、優位を争ったり、誰かを仲間外れ…いや、もうこの頃になると「ハブる」といった方が適切ですね、そう、ハブって貶めるようになりました。

 

いじめも当然のようにありました。わたしはハッキリとしたターゲットにはなりませんでしたが、ある子は靴が隠されたりしていました。教員はホームルームの時間を全部潰して、子供たち全員に探すように指示したりしていましたね。…さんざん学校中探しまわって見つからず、ホームルームが終わった後にひょっこりと誰もが確認したであろう場所から出てきましたけどね。

嫌気がさしたわたしは、教師に派閥の全貌をリークしたりしましたけど、根本的な解決には至らないまま、卒業しました。せっかく情報を渡したのに、なんでうまく使わなかったんでしょう。未だにちょっとむかつきます。余談ですが、このころから、学校の先生という存在が嫌いでした。

 

 

3 中学校でのいじめ

公立小学校を卒業すると、やはりほぼほぼ全員が地元の公立中学校へ進学しました。中学校になると規模が大きくなり、わたしの小学校以外にも数校の公立小学校からも中学校へ進学していましたので、生徒数は一気に増えました。

もちろん、中学校においても派閥は健在です。ですが、厄介なことに、わたしの属していた小学校よりも凄惨な状況の小学校があり、多数派の派閥が入れ替わり、リーダーもまた入れ替わり、全く新しい派閥が形成されました。戦国時代の国盗りか???とも思えるような話ですが…ただの女子の派閥の話ですよ…お気を確かに…

 

そこで新しくできた造語が、「闇っこ」です。多数派派閥に属さないその他大勢の生徒を指す言葉です。もちろん、差別的な意味で使います。

 

わたしは、ここでも多数派派閥には属していませんでした。そう、闇っこでした。闇っこは、多数派派閥の機嫌を損ねないように、息を殺すように存在感を消して毎日を過ごすのですが、この生活は入学してしばらくするとすぐに始まりました。みんな小学校で派閥を経験していますから、立ち上がりが早いのだと思います。

 

わたしはまだ痛い目に遭う前ですので、正確の矯正が済んでいません。結構な強気でした。速攻でいじめられました。ちょっとハブられるなんて甘い話ではないです。存在を認知されないようなハブられ方でした。

でも、相手が子供ですから、ハブり方が甘いのです。存在を認知されていないようないじめだったのに、甘さゆえに時々存在を認識してしまっていたようでした。そして、普通の友達のように接する。でもその一瞬が終われば、元通り。

こういう甘っちょろいいじめが、いじめらておきながら一番気にくわなかった。

最初っから最後まで、いじめきる根性もないような気弱な人間が強がっていじめる側に回っていることが、頭にくるかんじです。同類の癖に強がって楽しいか?です。

ちなみに、中学校在学中、何度かハブられるいじめを経験しました。学校を巻き込んだ大ごとになったこともあるし、不登校になったこともあるし、家にいじめ加害者の親が揃ったこともあります。

 

多数派派閥のほんとうのいじめは、こんな甘っちょろいものではありませんでした。わたしは運よく、多数派派閥に目を付けられることはありませんでしたが、目を付けらてた人は目も当てられないような状況でした。

具体的にどういう目に遭っていたと、目撃してはいませんが、空気で分かりました。多数派派閥は楽しそうに高笑いしていて、いじめの対象は重苦しそうな顔。この温度差が何とも言えません。そして、それを周りから眺める外野の生ぬるい目線も酷いものです。

よく、ドラマでいじめの描写がありますよね。実際はあんなものではありません。生ぬるすぎて、おままごとみたいだといつも思います。

 

この頃になると、性格の矯正は済んでいます。どういう風にふるまうのが人として正しいのかを知りました。そして、どういう風にふるまえばいじめられないのかも知りました。

高校受験では、こういう馬鹿みたいな派閥のシステムに嫌気がさしていたので、多数派派閥の連中が誰も進学しない学校ー進学校を受験しました。

無事、その進学校に合格するのですが、その進学校ですらいじめはありました。人間、どこまでいっても性根は一緒。多少頭が賢かろうと、根本は変わらないのだと悟りました。

 

 

4 いじめを経験して性格は歪む?

人よりはそこそこ凄惨な部類に入るいじめ経験ですが、この経験で得たものと言えば、多数派派閥をいち早く見抜く技と、ひとりにならないようにグループをすばやく作る技、見て見ぬふりする技…くらいでしょうか。どれもろくでもありませんね。

 

いじめを経験して、なにもいいことは無いと思います。

いじめた側としては、そういう行為をしたというレッテルが付きます。そんなものが付いたまま、就職し、結婚し、子供を産み… いじめたという自覚があって、多少の自責の念でもあるのなら、相当苦しいでしょうね。

いじめられた側としては、その経験は死ぬまで忘れません。ずっと頭のどこかでくらい記憶がこびりついているんです。それを抱えたまま生きる苦痛…なかなか辛いものです。それに、「そういう場面でこういじめられた」という経験則ができあがろうものなら、その後の人生を歩むうえでいじめられた経験が足かせになることは必須でしょうね。

 

わたしは、完全にいじめられた記憶が足かせになっています。

自分の性格を矯正してきましたが、強制しなければいけないほどの悪い性格の持ち主という認識がずっと離れません。

あとは、ありきたりですが、人間不信です。基本、まず全員を疑ってかかり、いじめや裏切りが起こることを前提に人付き合いをしてしまいます。もちろん、まともに楽しい人付き合いはできません。

これを、いじめによる性格の歪みというなら…わたしは歪んでしまったのでしょうね。

 

わたしをいじめた人間について、わたしはずっと許してはいません。人の不幸は願いたくはありませんが…逆転の発想として、そういう連中よりも私は幸せになってやると強く思います。

それが唯一の仕返し。それも、自分が幸せになる形でできることです。

 

今、わたしはアラサー。社会人です。いじめた人間も同い年ですから、社会人です。どこかで働いたり、家庭があったりするのでしょう。次世代ができようとしているのですね。

いじめた人間たちの次世代にあたる子供たち。どうか同じことを繰り返さないでくれよな…

 

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書いた人 中瀬一菜(なかせ・ひいな)
うつ病が原因で退職した元公務員。未婚・アラサー・障害者。
うつ病があっても自立した生活を送るために日々奮闘中。
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