こんにちは、中瀬です。「がんばれ」論争について思うところをまとめます。
うつ病患者思うに
いや、別に「がんばれ」って言われて不快かどうかなんて、時と場所と言ってくる人間が誰かによって、コロコロ変わるよ?(回答終了)
←(偏見に満ちた)選別をする中瀬さん
もうさー、こういう、画一的な回答を求めるたられば論争は飽き飽きですわ。
そんなのひとつの答えに絞れるわけがないでしょ、そんなのその辺の幼稚園生でも分かるんじゃない?
というか、一般論として、うつ病患者じゃなくたって「がんばれ」って言っていい場面と悪い場面があるわけで。特別にうつ病患者だからっていう理由は無いと思うんだよな。
「がんばれ」過敏症
この論争を見かけたときに、馬鹿馬鹿しいなァと思うと同時に、ちょっとしんみりしちゃった。
「がんばれ」って言葉自体が悪者みたいな感じがして、そうじゃないでしょって。
思うに、うつ病患者だけじゃなくって、今生きている人間みんな、疲弊してる場面が多すぎるんじゃないかなァって思ってしまったよ。
誰もが思い当たる節があるだろうな。「がんばれ」って言われるような場面に、「がんばれ」って言われる。その言葉の意味を考えてしまう。つい、上げ足を取ってしまいたくなる。
「じゃあ、今のわたしは頑張ってないって? もっと頑張れって? もうこんなに頑張ってるのに。なんで私のいまの頑張りをもっと見てくれないの。わたしはいまこんなにシンドイの思いをしてるのに!」
そう言う風に考えてしまって、怒りと同時に虚しさと孤独感が後からやってきて、自分の心の狭さに罪悪感まで覚えてしまう……
こんなカンジですか? うつ病患者じゃなくても、これくらいの思考はできますよね。たぶん、一瞬で。はっと気づかされるんじゃないでしょうか。
現代病なのかしら、こういうのって。名づけるとすれば、「がんばれ」過敏症?
ただ、想像力豊かであれ
そういえば幼いころに言われがちな「相手の気持ちを考えて~」ってやつ、これはほんとうに此の世の真理だなァと思います。
なにか歯車がかみ合わなくなったとき、そこには自分の想像が及ばなかったことが多い気がする。
自分がやらなかった経験
自分が抱かなかった感情
自分が見聞きしなかった世界のいろいろ
別に悪いことではないけれど、自分が至らなかったばかりに、自分の知恵や考えが回る範囲内に収めることができなかったから、その範囲外に立つ誰かを傷つけてしまう。
うつ病患者への「がんばれ」要否問題は、ただこの一点が要なんだと思います。
そりゃ、普通に元気にやってる人には、うつ病患者の抱える苦しみは理解の範疇を超えています。脳機能がちょっと誤作動で、と言われても、目の前で起きるうつ病の症状を見て、ああそうか、とはならないでしょう多くの人は。なんだこの訳が分からない病気は、そういうのは普通で平均的な反応だと思います。
誰も悪くない、誰にも言う当てのない、そういう寂しいズレが起こす事故なんだろうな。
でもイケメンならなんでもOKです
でも、中瀬さんは、この世にはもういませんがわたしのマイフェイバリット推しに、「がんばって!」って言われたら断薬だろうが職場復帰だろうが遠征観劇だろうがなんでもやっちゃいますけどね。(?????)
理屈っぽく話してきたけど、人間こんなもんでしょ。結局は、直感というか。「がんばれ」問題も、せいぜいその程度の話かもしれませんね、難しい話ではなくて。お前からの「がんばれ」は良いけど、テメェの「がんばれ」はどんなシチュエーションでも許さねぇ。理屈も減ったくれもない身勝手な判断。
しかし、うつ病患者――というより精神疾患を持つ人間への風当たりの強さは思い当たる節があるので、みんな優しくしてやってくれよなって思う。自分に優しく、人にはもっと優しく、そんなかんじで優しい世界にみんな浸って幸せに生きることができる。そんな未来を私は望みます。
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書いた人 中瀬一菜(なかせ・ひいな)
うつ病が原因で退職した元公務員。未婚・アラサー・障害者。
うつ病があっても自立した生活を送るために日々奮闘中。
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