小心者でも言いたいことがある。~公務員として働いていましたが、うつ病になりました。~

地方公務員として働くアラサー腐女子。典型的パターンでうつ病を発症してしまう。悩み藻掻きつつも幸せを掴みたい。日々の奮闘をまとめます。

「うつ病への理解が得られない苦しみ」とサヨウナラするには?

こんにちは。中瀬一菜です。

今日は、うつ病への理解について色々と考えたことをお話したいと思います。

 

 

理解されない苦しみ

誰だって、自分のことを分かってもらいたいし、分かってもらえたら嬉しいですよね。

自分の存在を肯定してくれた・共感してくれた・孤独ではなかった…等々。とても気分がいいモノです。人々の理解が及ぶ範囲に自分が存在できていることは、生きていくうえでとても安心できることだと思います。

たとえば、わたしの場合、地方の大学出身であることがちょっとコンプレックスでもあります。

でも、そもそも大学卒業してるとかエライ!とか、わたしも地方大出身だよ!とか、都会と地方とか比べる必要ないよ!とか、大事なのは何を勉強して得たかだよ!そう言ってもらえるとホッとします。「地方大卒は恥ずかしい」と捉えるグループ(そういう思考を持つ人間のある概念的な集まり)から一気に抜け出すことができます。

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こういうことが、うつ病など心の病気を患った人にも当然に当てはまると思います。いや、より顕著に、ではないでしょうか?

わたしが例に出した「地方大を卒業していること」よりも、よっぽどコンプレックスになるとおもいます。巷への理解が進んでいるとはいえ、心ない事を言う人が目に見えて存在する・存在を聞いたことがあるでしょうから…

この「理解が得られない苦しみ」をどうやって乗り越えたらいいのでしょうか?

わたしなりにぐるぐると考えましたので、まとめていきたいと思います。

 

 

人間ってなんで戦争とかすると思う?

ここでちょっと世界史のお勉強をしたいと思います。とはいえ、わたくし世界史はさっぱりぽんダメで、カタカナが覚えられない人間でしたのでふんわりと振り返ります。

なんとなく、ずーーーっと戦争ばっかやってんなぁ…と思いませんか?(ざっくり)

国益で対立したり、宗教で対立したり、人種で対立したり…各々それなりの主張があって正義を信じているのだと思いますが、今回はその判断はちょっと横に置いといて、立場や思想等の異なる二者(時にはそれ以上)が、相容れることなく戦ってますよね。

世界史ができない()わたし的には、江戸末期あたりがとても分かりやすい例だと思います。ちょうど、大河ドラマ「西郷どん」も放送中でタイムリーですし。

「天皇を尊重して(尊王論)迫りくる外敵を排除するしよう(攘夷論)」と「薩英戦争をきっかけに攘夷は無理と悟り、現在の幕府では外敵と戦えない。討幕して中央集権国家を作る必要がある」という二つの思想が対立して、なんやかんやとあったわけですが…

 

当時を生きた人間が実際にどんな議論をしていたかはもちろん知らないけど、きっとそれぞれが我こそ正義だと信じていたんですよね。対立する側こそ正義を理解できない愚か者で、その主義主張は理解できない、と…

世の中には勧善懲悪な物語(ア〇パンマンとか水〇黄門とか)が溢れてますから、どうしても白黒はっきり物事を見がちですが、上記の幕末のアレコレを考えると、どっちも良いとも言えないし、悪いとも言えない。なんなら、どっちも正しいように思えてならないのです。だって誰もが国の未来のことを考えて動いてるんですもん。

つまり、何が正しい・悪いに起因して争いがおこるのではなく、結局は自分が何を信じ、理解をしているかで争いが起こっているのではないか?という気がしてならないのです。そして、この争いをすることで、自分が信じて理解していない側を排除したいのではないか?とも思うのです。

批判を恐れずに極端に言ってしまえば、人間は自分の理解が及ばない物事を嫌がるのではないか?とも考えられるのではないかなと思います。おおぅ…話のスケールがとてもデカくて不安になってきたぞ…

 

 

理解する・しない議論は不毛じゃね?

…とっても前置きが長くなりましたが、とりあえず「人間は自分の理解が及ばない物事を嫌がる」ということを言いたいのでした。

そこで、話を「うつ病への理解がされなくて苦しい」に戻しますが…

うつ病を患っていない人からすれば、「うつ病である人」のことは想像しがたい事なのですたぶん

もちろん、うつ病ではない人が「理解をする」というパフォーマンス的なことは可能でしょう。うつ病の人間を見て、辛そうなところから察して、きっとしんどいでしょうね、無理しないでね、早く元気になってね、何も心配いらないよ等…言えるでしょうね。ですが、それはうつ病ではない人その人が「想像しうる範囲内」に「うつ病」が含まれていた場合に出た言葉です。わたしだって、たとえば末期がんの患者さんのことを理解してあげられるかというと、きっと上手くできないと思います。迫りくる死…なんて想像できません。

想像できなかったらどうなるか?

理解が及ばないから、うつ病患者にとっての辛い言葉が出てしまう(故意 or 過失は置いといて)、ということではないかなと思います。そして、それを聞いてうつ病患者本人は苦しむ、と。

 

では、この苦しみから、どうやってさようならをしましょうか?

わたしは、心ない言葉を行ってくる人々をどうにか説得でもして、病気への理解を示してもらうようにするのは無理だと思います。

心ない言葉を言う人たちは、それこそ私たちのような人間に理解が及ばないのです。それは、その人の経験によるものか、純粋な悪意によるものかは置いといて…

ある意味悔しいお話になりますが、ここはその心ない言葉を受け取るわたしたちが変わるしか手段は無いと思います。

わたしはよく母から言って聞かされた言葉がありまして。他人のことは変えられないけど、自分のことだったら変えられる、と。

言葉を真正面から受け止めて、「腹が立つ!ちょっとは理解してよ!苦しい!辛い!屈辱だ!私は被害者だ!アイツはうつ病のことを何にも理解してない大馬鹿者だ!」となるのではなく、そういう風に思う人もいるとしなやかに受け流すのが最善ではないでしょうか。

もちろん、長期的な目線で、「うつ病という病気はね…」と教え諭して理解してもらうように努めるのも大切だと思いますが、その場ですぐにできる最善策は竹が風に揺れて撓るように受け流すことです。

 

 

なんでも想像力一本勝負

なんて、お前は鬼かと言われそうなことを言っておりますが…

ですが、心ない言葉を言う輩がそのまま蔓延ってもいいとは、もちろん思っておりません。

特に、そういう人間が身近にいると治療にも悪影響を及ぼしかねません。わたしもそういう旨の記事を過去にまとめております。

www.me10s2ct.com

 そうなると、受け流すのと同時に、理解をしてもらうようにお願いせざるを得ないのですが…こういった場合、想像力を働かせてほしいとお願いするしかないかな…と思います。

  • こういう理由で調子が悪くなってうつ病になったんだけど、どう思う?
  • 定期的に世間的イメージの悪い精神科に通うって、どう思う?
  • 自由に動かない体で生活するのって、どう思う?
  • いつ治るか分からない病気を抱えるって、どう思う?

頑固な人だと「知らねーよ!」で終わるかもしれませんが、「どう思う?」を繰り返してうつ病に関するいろいろなことを尋ねるうちに、その人の想像の及ぶ範囲の何かに引っ掛かるかもしれません。

 

…この想像力、心ない言葉を言われて受け流す際にも結構使えると思います。

「あの人はこんなことを言ってるけど、きっと身近にうつ病の人がいなくって分からないんだろうな~以上終わり~」とでも想像すると受け流すのも容易になります。

それに、誰でも何かしら辛いことがあるんだろうなぁと想像できれば、もっと容易になりますよね。「あんなこと言ってるけど、あの人ももっと別な苦しいことを抱えてるかもしれない。お金がないとか家族の介護とか。アンタも大変ね~」なんて。大概だれでも何か辛いことを抱えていますよね。

 

 

とはいえ、犠牲者ヅラを決め込んでいませんか?

ここまでうつ病への理解について、「理解できる範囲」という観点でお話しましたが、最後にちょっとだけ。

そもそもうつ病である自分自身に問題がありました!…なんてことありませんか?

  • うつ病を理由に怠惰な生活を送り、寛解を目指していない
  • うつ病になった自分の境遇を呪っている、他人の幸せを妬む
  • 人間関係でうつ病になった場合、自分は正しいと信じ切ったままである
  • うつ病で仕事を辞める・休むことへの引け目が一切ない   などなどなど…

大袈裟に描きましたが…恐れながら、上記の類のようなことを少しでも思い当たるようであれば、他人様に理解してほしいというのは過ぎたお願いかと思います。

そりゃ、↑のようなネガティブなことを言う・考えるなんてしていたら、誰だって距離を置きますよ。家族や専門家でもない限り。だって、誰だって何かしら辛いことがあるんだから。人様のことまで面倒見れますかって話。

 

それから、鬱で辛いと垂れ流すのは結構。ですが、その中に普遍的な意味での正義はありますか? 幕末の尊攘派と開国派が対立したような、そういう主観的な正義ではない、この星に住まう人類が生まれたときから持ち合わせる正義、という意味です。悪口を言わない、妬まない、恨まない、怠けない、人を陥れないなどなど。

 

うつ病への理解について、1~4章で正攻法のアプローチを考えましたが、もしご自分がこの5章冒頭の例示に当てはまるようなら、それは「うつ病への理解がされていない」というより、「あなた自身という人間に対して理解がされていない」と言った方が正しいのではないでしょうか。

自分が被害者だと大きな顔をしないでください。

うつ病を隠れ蓑にしないでください。

真剣に頑張って一日でも早く元気になって仕事をして家庭をもって、いつかこんなこともあったよね~と笑える日を目指して、日々奮闘する患者たちがいるのです。

自分の姿が他人からどう見えるのか。常に周囲の人の反応を伺って、自分で気づいてください。

 

…と、さもわたしが出来た人間のように話していますが、わたしには至らない所がたくさんあります。うつ病患者であるわたしを見て、「これだからうつ病患者が嫌いだよ!」と仰る方がいるかもしれません。

ですが、卑屈にならずに、日々様々なことに気づき反省しています。そのために、このブログで度々紹介しているDaiGoさんのニコニコチャンネルで勉強をする等しています。

病気が治るために、人間として魅力的になれるように…!

わたし個人の力はとっても小さいけれど、うつ病=怠け者!みたいなネガティブなメージを変えられたらなぁと願うばかり…

 

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書いた人 中瀬一菜(なかせ・ひいな)
うつ病が原因で退職した元公務員。未婚・アラサー・障害者。
うつ病があっても自立した生活を送るために日々奮闘中。
Twitter  https://twitter.com/ebihuraiumeeee

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note        https://note.com/me10s2ct

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