こんにちは。中瀬一菜です。
今日久々に抽象的なお話をしたいと思います。正しさ乃至正論についてです。
白か黒か、善か悪か
二者択一の場面って多いと思いませんか?
例えば、多数決で何かを決めるとき。ディベート等で話し合うとき。結構な割合で、「自分はどちらを選ぼうかな」と考えることがありますよね。
特に、善か悪・白か黒を択べというような場合が多い気がします。
「死刑制度は廃止した方が良いですか?」とか「米軍基地の移転に賛成ですか?」とか「政府は説明責任を果たしていると思いますか?」とか…もちろん、二者択一ではない場合もあるとは思いますが、多くの場合ですよ。そして、考えた末に自分の思う正しい方を選びますよね。
上記の記事で、幕末の混乱期挙げて、攘夷論と開国派についてお話をしましたが、これもまた先ほど挙げた例の仲間に入れてもいいかもしれない。
人間は、日常的に二者択一…何が正しいのかを考え、常に正しいと思われる選択肢を選び、生きているのだと思います。
それは、政治的ウンヌンの大袈裟な話ではなく、もっと日常的で些細なこと…「上司に挨拶をすべきか」とか「年寄りに席を譲るべきか」とか…様々な分岐点で立ち止まり、その都度自分がこれで良いと納得する方――正しいと信じる方を選んでいると言ってもいい。
わたしたちは常に、主観的な意味で正しい物事を選んでいると思うのです。そして、こういう選択をすることこそが正しいと思っている。
長い目で見れば、それが人生であって、人生とは自分の選択の積み重ねであると私は考えています。
勧善懲悪な世の中
そんな世の中で、分かりやすく親しまれているのは、勧善懲悪のメッセージを含むエンターテインメントではないでしょうか。
アンパンマン、仮面ライダーや戦隊モノ、プリキュア、水戸黄門、遠山の金さん…最近だとドクターXなんかも勧善懲悪っぽいですよね。悪い奴を、正義の味方が倒す。分かりやすくて、スッキリとします。誰だって大好きなストーリー展開。日頃のストレスが発散される気がします。
こんなエンターテインメントの中だけでもいい勧善懲悪なお話は、日常の中にもたくさん溢れています。
例えば、SNSを使った晒上げ。何かの事件の加害者を探し当てて、個人情報を晒すなんてことが良く起こってますよね。※こういうのはもちろん犯罪です。
あとは、性被害に遭った女性に対する様々な意見でも垣間見えることがあると思います。女性側の非を責める場面を一度は見たことがありませんか。
わたしが体験したことで言えば、婚活に関する記事を作ったときのアンケート調査ですね。正論のオンパレードでした。
そりゃそうです。今を生きる人間――わたしたち自身が、常に主観的ではありながらも正しい選択をすることこそが正しいのだと信じて何かを選んでいるんですから。
わたしたちの集合体である世の中だって、大きな傾向として正しさを求めるのでしょう。
結果、正しさの物差しは置いといて、正しいことを中心に世の中は回ることになる。こんな当たり前のこと、疑問に思わないくらいに。
正しさで人は死ぬ
世の中は正しさを求めて動く大きな生き物みたいなもの。その中で暮らすわたしたちは、常に正しいことを選んで生きている…
ですが、わたしは感覚として、「正しさを求めるがゆえに人が死ぬ」というのをどこかでいつも考えてしまっています。
少し昔の話をします。わたしは、某地方大学の法学部を卒業しています。
つねに勉強ばかりしていたので、周りの人間も同じような勉強ばかりする――法曹や公務員志望――学生だらけでした。正義とは何か、権利とは何か、そんなことを大真面目に考える日々でした。ゆえに、常に主流な学説を採用し、法的な意味での普遍的な正しさをずっと追い続けていました。
そんなある日、引退したある先輩がとある書置きを置いていったことで、わたしは激怒します。内容としてはこんな感じ。
現在の後輩たちのことを心配している。
(細かな事柄を挙げて)自分ならお前たちのようにはしない。それは正しくない。
正しい選択をするように。
先輩のいう正しさは、きっと主観的な正しさに留まらない、どんな人が考えてもこの答えに行きつくであろうモノでした。わたしだってそう思った。
しかし、わたしは先輩のこの書置きが許せなかった。
「引退済みの部外者が、何を横から口を出しているんだ?」
わたしの考えも、ある意味正しいと思う。部外者が他所の何かにちょっかいを出すのが是となる組織なんてありゃしないんだから。
ここまで考えて、はたと立ち止まります。
先輩の言っていることは正しい。これは分かる。きっと先輩の言う通りにするのが正しい。
けれど、わたしの言い分だって正しい…わたしが選ぶべき「正しいこと」はどこにあるんだろう…正しいことを求めているだけなのにどうしてこんなに苦しいのか…
このとき、わたしは理解しました。
人は、正しさを追い求めると時に息苦しくなるのだと。正しさで人が死ぬことすらあるのではないかと考えるようになりました。
ちなみに、この先輩は法曹志望者でわたしなんか足元にも及ばないめちゃくちゃ賢い方でした。
善と悪の間
こんな過去の体験をしてさらに時は流れました、わたしは正しさとそれに伴う息苦しさを感じながら日々生きていましたが…
現在うつ病で休職中。自由に使える時間が長くある今、このことについて考えを一つ深く進めることができました。
このあたりが、いい感じに私が言いたいことがまとまっていると思います…
要は、「正しい選択肢がどれか」という物差しの問題と、「正しい選択肢を選べるか」という自分の中の問題は、全くの別物ということです。
お恥ずかしながら、わたしはずっと自分は正しい選択をしていて、そんなわたしはいつだって正しいと思っていました。正論こそ常に採用されるべきで、それ以外の誤りを含む情報は駆逐されるべきだとも。
この傾向は、このブログでもあって、だいたいはわたしが「正しい」と判断したことだけを載せ続けています。人様にお見せするものですし、役立ててほしいと思っていますから。あえて正論を強く押し出している、ともいえると思います。
しかし、こういう思考は、言ってしまえば極論でもあると思うのです。
犯罪はダメ。そんなのみんな知ってる。けれど、犯罪者はたくさんいる。故意で犯す人間はいるけれど、一定数やむにやまれぬ事情で手を染めざるを得なかった人がいる…
わたしたちの日常の中にだって同じようなことはあると思います。公共交通機関で優先席だけ空いている。自分は今とても体調が悪い。座ってしまえ。けれどあとからお年寄りが来た。自分は今立てれる状態ではない。寝たふりをしてしまえ…
世の中の傾向、わたしたちが無意識のうちに取ってしまう行動の傾向として、つねに正しいモノを選び好むとお話しましたが…
現実では、そんなこと常にできるわけがないのです。
そこに対して、「まぁいいか」と思える人もいれば、わたしのように「やってしまった…」と重く受け止める人もいる。ここはいわゆる正義感の問題だと思いますが…
善か悪か・白か黒かの二者択一の場面が世の中には多いし、選択肢の善や白を選ぶことを良しとするのがこの世の中の常識ではあるけれど、本当は善か悪か・白か黒かの間にも選べる選択肢はあるのではないか?と言いたいのです。
…そんなことを考えていたら、先日のDaiGoさんの放送で似たような(と私が感じた)ものがありました。
これはネガティブバイアスからの抜け出し方という内容ですが、その中で「極端になった思考を真ん中に戻す」というようなことを何度も仰っていました。なるほど、わたしが言いたい善と悪の間という話もこれに通じるものがある…
そう、わたしは、善か悪か・白か黒かという二者択一を極論だとも感じているのです。だから、わたしは大学時代に先輩から正論を押し付けられたときに息苦しくなったのだと思います。それは、誰にだって正しいと分かるもはや暴力的な正論だったから。
許せる余裕
わたしは現在うつ病で休職中ですが、たくさんの自分が正しいと思うことから逸れてしまったと感じていました。
- 労働をして賃金を得て税金を納める
- 仕事とプライベートを両立させる
- 結婚をして家庭をもって子供を産み育てる
全部出来ていません。善か悪かの極論的な二択で言えば、わたしは悪の方を選んでいることになりますが、べつに悪いことをしているという気はさらさらないけれど。
休み始めた当初は悪いことをしていると思って、時計をまともにみれなかったり、時たまある同僚からの連絡が怖かったり、定期的な職場でのカウンセリングが憂鬱だったりしましたが、今はもうすっかり気を楽にして過ごせています。
正しい選択肢は分かっていても、自分がそれを選んで実行できるかは別問題であるし、正しいか悪いかという極論で物事を量るのは息苦しいと気づいたからです。
気づいてから、これが余裕を持つということなのかもしれないと、さらに気づきました。
この辺の過去の記事で余裕をもっていたいな~~~なんてお話していましたが、まさにコレです。
同じような結論を別方向から考えていたようです。より深く考えることができました。
…このブログでは、わたしの思うところの「正しい事」「正論」「こうするべき」がたくさん載っています。それは、情報を発信する者として正しいことを伝えるべきだとわたしが考えているからです。
ですが、どうかそれを見て気を落とされることの無いよう。
あくまでわたしの主観です。そして、仮にわたしと同じような正義感をお持ちでも、正しさを選べるかは別のお話です。
時には、「グレー」な生き方でもいいと思うのです。自分の選択に嘘が無くて、胸を張っていられるなら。
こう思うと、他人に対しても寛容になれる気がします。他人がどう思っているかは分かりませんが、外から見える結果を見て「アイツは悪だ!間違っている!」と思わなくなる。「あなたはグレーを選んだのね、お気持ちお察しします」くらいに留められる。
わたしは何にでもすぐ気が付いてしまって苛々しがちなのですが、そう思うと生きやすくなる気がします。
白か黒かではない、グレーな生き方で毎日過ごそうと思います。それにしても、グレーの服って買いがちですよね。秋冬のニットがグレーだらけで組み合わせに困ってるなう…
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書いた人 中瀬一菜(なかせ・ひいな)
うつ病が原因で退職した元公務員。未婚・アラサー・障害者。
うつ病があっても自立した生活を送るために日々奮闘中。
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